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マイケルの事はともかくとして

私が子供の頃、大好きだったのがヒュー・ロフティングの「ドリトル先生シリーズ」です(訳は井伏鱒二。「Pushmi-Pullyu」を「オシツオサレツ」と翻訳したのは本当に素敵♪)。

お話も、ロフティング自身が描いた画も大好きでした。

出来ることなら私もドリトル先生の助手になってあの楽しい家に住み、サーカスやキャラバンについて行きたいと願ったものです。(トミー少年が心底羨ましかった)

それから十年以上の月日が経ったある日、ある新聞記事を目にしました。

そこにはロフティングのドリトル先生シリーズの差別的な表現が問題になっているとありました。

「そんなのあったか?」

と思って読み進めるとどうもドリトル先生の黒人の友人バンボ王子が白い顔に憧れている箇所が問題になっていることが分かりました。

私は横で広告を見ている母にこの事を話しました。

彼女は私と一緒にこのシリーズを読んでいたからです。

この話をすると母は

「はぁっ?!あの本のどこが差別なの?馬鹿みたい!バンボはドリトル先生の友達でインテリでいい奴になってたじゃない!マイケルなんて顔どころか体まで白くしているのに!どうしろって言うのよ!!(←って、チョット論点が違うのだが・・・)」

とお怒りになりました。

マイケルの事はともかく、私も母の言葉はもっともだと思っています。

少なくとも私は子供の頃にあの本を読んでバンボを黒人だからどうだなどと思った覚えはありませんでした。(勉強熱心で良い奴だと思った覚えはある)

私は大学で「図書館学」などを一応勉強していたので

「あぁ~、サンボ問題(これは相当議論したな~)と同じか~」

とウンザリしました。

確かに人を傷つける表現は良いものではありませんが、物語そのものはそっちのけで口当たりの良い表現だけを求めているような気がしてならないのです。

大人がすべき事は、口当たりの良い見てくれの美しいものばかりを子供の周囲に整えてやることでしょうか?

私はドリトル先生の「バンボが白い顔に憧れていたこと」を新聞記事を読むまですっかり忘れていたのですが、別の事はずっと忘れずに覚えていました。

それは、確か「ドリトル先生、月へ行く」(もしかしたら「月から帰る」だったかもしれませんが)で、ブタのガブガブがうじ虫を見た時の話です。

ガブガブはうじ虫を見て「わぁ~、なんてベトベトして厭らしい生き物なんだろう!!」と言います。
うじ虫はそのガブガブの言葉をドリトル先生に虫語に翻訳してもらって怒ります。
「彼は私を見てあんな事を言っていますが、私から見たら彼のほうが厭らしい生き物に見えます。なんてつまらない事を言うのでしょう」と。
それを聞いてドリトル先生は「うじ虫の言う事はもっともな事だ」と答えました。

私はこの話を一度しか読んでいませんが(「ドリトル先生、月へ行く」のあたりはあまり好きではなかった)、この話を忘れたことはありません。

子供だった私はこの話で「自分と違う外見(または考え方など)をしているからと言って無闇に相手を見下したりすることはとても愚かな事だ」と学びました。

それは「バンボが白い顔になる」ことよりも私とって心に残ったことでした。

見てくれの美しさや口当たりの良い表現が物事の本質を表しているとは限りません。

教壇の段差を無くしたり、蛙の解剖を止めたり、言葉狩りのようなことをするよりもっと大切なことがあると思いますが。

*****
アメリカの「ひずみ」はこの「清く正しい」を目指したうえで生まれたものかもしれませんね。「清く正しく健全であるべき」か・・・・
ところで「近所に知的障害がある人の為の施設が出来るのが嫌だ」なんて惚けた事を仰る人も「清く正しい地域社会」のためだと思ってそう発言されているんですよね~

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