時折、思い出す言葉がある。
「お客さんがいなかったら俺、トップロープから飛んだり出来ませんよ。怖くて。お客さんがいるからトップロープから飛ぶことが出来るんです」
全日本プロレスの小島選手が内館牧子氏に語ったこの言葉が、映画を見ている間ずっと頭の中に浮かんでいた。
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ランディはかつてマジソン・スクエア・ガーデンを埋め尽くす大観衆の前でタイトルマッチを闘ったことがあるレスラーだった。
けれどそれも今は昔
年老いたランディは娘からも絶縁され、トレーナー・ハウスに住み、平日はスーパー・マーケットでバイトをし週末はリングに立つ生活。
そのリングも大観衆の中の大きな舞台ではない。
それでも、そこが彼の大切な居場所だった。
昔馴染みのレスラー、まだまだ経験不足のレスラー、いつものプロモーター・・・そしてランディのプロレスに熱狂するファン。彼らは彼にとって家族のような存在。
プロレスの舞台こそがランディの居場所だった。
ランディが試合後に倒れるまでは・・・・
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プロレスの興行の楽屋裏での選手達の会話や打ち合わせは、なかなか微笑ましいこと(相手への信頼が基本にあるとよく分かる)。
たとえ“ショー”であっても体を酷使することには変わりないこと。
商売道具である体を作るために努力し、体を作るためにたくさんの“薬”を服用していること(日本ではそう使ってないと思うが)。
その“薬”は試合で酷使した体の痛みを鎮めるためにも使われており、その“薬”を飲むために別の薬が必要なこと(効き目の強い薬にはそれだけリスクが伴うものだ)。
スポーツ・エンターテイメントであるプロレスの裏側を赤裸々に描き出す事によって
プロレスがしっかり計算されて行われているショーであり、
しかも、それでもこのスポーツ・エンターテイメントがいかに過酷で命を削るものであるかを誠実に描いていることに感心した。
その上でランディという、もうとうにピークを過ぎたレスラーの姿を描くことによって人生の悲哀をスクリーンの上で見せてくれる。
予告を見た時は、正直
「いかにもハリウッド映画的なベタな映画かも?」
と思っていた。
勿論ベタな展開でも脚本がしっかりしていれば構わないし、それはそれで楽しめたと思う。
が、予想よりもやや“苦い”映画だったのが良かった。
はっきり言ってランディは家族としてともに人生を歩みたいと思う人間では無い。
良い家庭人になれる人間かどうかは疑わしい・・・と言うかそうはなれないだろう。
それでもランディを人として愛おしく思えるのは、彼の愚かしさの中に不器用で無骨な優しさが見えるからだ。
近所の子供を相手にテレビ・ゲームに興じる姿、娘に詫びる姿、想いを寄せるストリッパーのキャシディとの会話、マーケットでのお客とのやりとり・・・小さなエピソードの中にランディの人となりが透けて見える。
愚かで不器用で駄目なところもあって・・・でも、どこか暖かいランディ。
頭から彼を否定する事は人として出来ない。
試合の後に倒れたランディは人生の決断を迫られる。
別の生き方、自らが招いたとは言えどうにもならない現実、ささやかな幸福・・・
ランディが選んだ生き方に是非を唱えることは出来ない。
生きる事はほんのり暖かく、過酷で、そしてとてつもなく哀しい。
そんなことを描いた映画だった。
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と、まずまずの良作でした。
このところ、割と良い作品を(映画館で)見ているので満足ですね。
全然好きになれない俳優だった(エロ映画のイメージしかなかった・・あとチミノ監督の「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」ね)ミッキー・ロークがランディを好演していて、とても良かった。
割と駄目人間なところがあるランディ役は当たり役だったと思います。
あと、ピークをかなり過ぎたレスラーの体を作り込んでいたのにもビックリ。凄いよ。本当に。
マリサ・トメイ演じるキャシディも良かった。
ストリッパーの役だと心根は優しいけれど軽薄な女性(←もうこういうのは勘弁してほしい)として描かれるのではないかな、と心配していたけれどキャシディは強く自立した女性の優しさを持つ仕事をしている女性だったので、気持ちよく見れました。
プロレスを“イロモノ”としてではなく、しっかり真摯な姿勢で描き
パランスの良い映画に仕上げた監督の手腕に感心しました。
ドキュメンタリーならいいけど、ドラマとしてプロレスを扱うのは難しいと思うので。
エンディングで流れたスプリングスティーンの曲の歌詞に胸が痛みました。
色々なレスラーの姿が浮かんで来て・・・・なんともね。
あと、私はやっぱりハード・コアは本当に駄目です。
プロレスじゃないとは思わないけど、あれはやっぱり見れない。
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