声にならない声をあげて慟哭した

今、バックに入れて読んでいる本は坂口安吾の「不良少年とキリスト」ですね。
昔読んだけど、久々に読むのもいいかなと思ったので。

*****

そろそろ母の日なのでプレゼントを用意しました。
が、ウチの母は色々うるさい人なのでチト心配(笑)
なので、母が前々から読みたいと言っていた「レディ・ジョーカー」の文庫本をオマケにつけることにしました。

高村薫は文庫本にする際に大幅な改作をするのですが、ザッと読んでみたところ今回はそう変わってなかったようですね。細かいところは変わっているけど。

それにしても、久しぶりに読んだけどやっぱりLJは読み応えがあります。
この作品は高村薫から戦後を昭和を生きた人達へ捧げる鎮魂歌なのでしょう。
読む度に身を引き千切られるような心地がします。

ま、母が楽しんでくれるといいのですが。
厳しい小説ですけどね。

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最近読んだ小説で面白かったのは?

と聞かれ、

吉田修一の「悪人」

と答えました。
これは面白かった。

*****

本屋に平積みされた本を覗き込みながら
「うはっ!面白そう!!絶対買う〜!!」
と思える小説が少なくなったのは、歳をとって好奇心が無くなってきたからでしょうか・・・・

随分前から小説を読むときはかなり選り好みするようになりました。
時間とお金が無いからか(笑)
とにかく映画や漫画に比べて小説に関しては好き嫌いが激しい。

本を買う時に凄く慎重になるのは子供の頃からですが、一度あまり考えないでウッカリある小説を買ってから更に慎重になりました。

平積みにしたあったその本には“イチオシのおすすめ・超感動作!!”紹介文があり、
ウッカリあまり考えないで買って読んだのですが読んでみて思ったのが
「これでなんで感動するんじゃ?????????」と。
不倫ものじゃないかと。
真実の愛って言われてもな〜。

母親の死後に母の不倫の恋を知ったヒロインの子供達の
『あぁ、お母さんは真実の愛があったのね〜』(←なんかこんな感じだったよな〜)
と言う台詞を読んで
「ええっ??私だったらいい年して何血迷ってんだ。バカじゃないの・・・と思うよ。親が親なら子も子だよ。呆れるよ。不倫された父ちゃんに同情しろ〜!!」
と思いました。

読んだあとに、あの本がやたら売れた時には心底驚いたし
私の記憶が確かなら作者が来日したり
挙げ句には映画化されたり(見たくない〜、見てないがね、そして見る事はないだろう)
で、つくづく出版社の陰謀と本屋の平積みにしてやられたな・・・と。

あの本ほど買って後悔したした本は後にも先にも無かったですね。
好みの問題なんでしょうけどね。

「死ぬかと思った」みたいなバカ本だって買って後悔したこと無いのに(それはそれで問題)。
あと、「いろはに倶楽部」もね。(バカ本は時々読み返すと生きる勇気が湧いて来るありがたいものである。そんな私は底無しのバカなんだろう)

あれ以来、平積みしてるものとか、「書店お勧め」とか、帯に「○○氏が絶賛!!」とかあるとまず疑うようになりました(笑)
別にへそ曲りな人間ではないんですけどね。

あと、○○賞受賞作というのもあまり信用していません。
これも、「これって、どうなんだ?いいのか?」と思う作家がいたからですけど。

明らかに「変だ」と思われる文章を新聞に載せた作家が権威ある賞を受賞したことがあるので。
誤字脱字だらけのブログを書いてる人間に言われたくないでしょうが
“文章で身を立ててる”プロがヘンテコな文章を書くのはいただけません
(ま、それをそのまんまのせる新聞社も問題)

小説家は感性も大切だけど、それ以上に正しい文章を書くことが大切だと思います。

「あまり読みたい本が出てこなくなったな〜」
と選り好みしているうちに、本をあまり買わなくなりました。

でも、「悪人」は久々に面白い小説でした。
この作家さんなら別の作品を読んでみてもいいな。

高村薫も好きだけど、ちょっと如何なものかと思うところが2、3あります。
あれがなかったらもっといいのに。
でも、「レディ・ジョーカー」は本当に面白かったです。

「悪人」も「レディ〜」も読み終わった後、すっきりしないところがいいですね。

あと、久々にカフカの「変身」と芥川の小説が読みたくなりました。
この二人って何処か似ていて好きです。

「変身」と芥川の小説を読んでいるとニヤニヤしてしまいます。
ユーモアのある皮肉屋たちだな〜と。

可笑しくて、おぞましくて、哀しくて・・・そして、いじらしいのが人間なのでしょう。

ま、やっぱり読み終わった後すっきりしないかな(笑)

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本田靖春著「警察回り」 

せっかく買った「警察回り」をなくしてしまったと思ったら
職場のロッカーの中にありました。
以前、昼休みに読んだときカバンの中に入れたつもりで
ロッカーに入れてしまったようです。

私のロッカーは物が殆どないのですが(常備している1リットルの水くらい)、
この時は本の上に膝掛けを置いていたので気付くのが遅れたのです。

ま、なんにしろ読みかけの本が見つかって良かったです。
どこにやっちゃったんだろう??
って、散々探したので(笑)

で、読み終えました。

非常に面白かったです。
警察回り記者達の逸話、黄色い血キャンペーン、46歳の若さで逝った深代惇郎、記者達の溜まり場だったトリス・バー「素娥」のマダム“バアさん”・・・・
第五章 深代惇郎の死から最終章 バアさんの血 まで一気に読みました。

昭和三十年代、生きる事に懸命だった人たち。
ひどく胸に沁みるものでした。

とりわけ深い心の持ち主だった深代惇郎氏とバアさんの可笑しくも暖かなやりとり。

人並みの幸せさえ遠く、底辺で生活防衛に追われていたバアさん
嘘や図々しさやしたたさや計算高さを持ち合わせると同時に生涯において信義を裏切ったことがないバアさんの死によって“戦後”は過去のものとなる。

この本を読み終えてページを閉じた時の痛みは
心の中の小さなシミとなって私の中に残るものでした。

面白かったし読んで良かったと思います。

*****

最後に、
私もバアさんの嘘を責められないと思った。
いや、誰がバアさんを責める事が出来るだろうか?
バアさんの嘘を知ったとき、私も哀しく切なかった。
愚かな私は他にどんな言葉を口にしていいか分からない
ただただ哀しい

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ソロソロ話ヲシヨウカ。

高村薫の「レディ・ジョーカー」を読み終えました。

私は面白く読みました。

これだけ有名な小説なのにもっと早く読んでおけば良かったかな?と思いましたが、まぁ人と一緒で本にも出会いってのがあるので(「出会わなければ良かった」と思うものもあるが・・・・ね)。

*****

人質は350万キロリットルのビールだ

1995年、業界最大手の日之出麦酒を狙った未曾有の企業テロは1947年に日之出に送られてきた一通の怪文書から始まった。

犯罪が犯罪を呼び、気付けば我々の足元にポッカリと深い闇が存在していた。
それは人の心の闇なのか、企業社会の闇なのか、システムそのものが闇なのか。

その闇に出口はあるのだろうか・・・・

*****

犯人、警察、企業、ジャーナリスト・・・主にこの4つの視点から描かれるレディ・ジョーカー事件ですが、視点が定まらないのでもしかしたら最初は読みにくい場合があるかもしれません(先に読んだ「リヴィエラを撃て」で慣れていたので問題なかったけど)。
が、この4つの視点によって地下金融の辿っても辿っても辿り着けない闇の根深さが浮かび上がるのかもしれません。

物井の中の泣き止むことの無い悪鬼、城山の尽きせぬ苦悩、加納の慙愧の念、久保の絶望・・・・・

読み終わって、物井が呟いた「辛いなあ・・・・・・」という言葉が頭に浮かびました。

そう、ただただ「辛い」

何をもって持ち堪えるかは人それぞれでしょうが、辛い。
辛さに耐え、投げ出さないことかもしれませんね、生きて死ぬことは。

「レディ・ジョーカー」を読み終え私が思ったことはそれでした。

「照柿」で燃える雨に体を打たれ絶望と喪失感と哀しみで崩れ落ちるラストを書いた高村薫ですが、「レディ・ジョーカー」の全身を凍らせるように足元から忍んでくるやませを感じさせるラストもなかなか良かったです。

辛いなぁ・・・・・・本当に

*****

さて、これで合田刑事三部作を全て読んだわけですが、一番面白かったのは「レディ・ジョーカー」で次が「照柿」で、次が「マークスの山」ですね。

「レディ・ジョーカー」は今更云うまでもありませんが、「グリコ・森永事件」を下敷きにした小説です。これは読む前から知っていましたが、
LJを読んでまず頭に浮かんだのが「攻殻機動隊S.A.C」の「笑い男事件」でした。
(「笑い男」のレビューでたくさん同じような意見が出たでしょうけど)

こちらも「グリコ・森永事件」を下敷きにした作品なので、まぁ当然といえば当然なんですが。
合田曰く「政治家とやくざ以外ならなんでもなれそうな」城山社長が、「笑い男」のセラノの社長と被ってしまって。

「笑い男」と「レディ・ジョーカー」の企業テロに対する動悸は全く違うし(私はLJの動悸の方がよくわかる・・・・あぁいう人生は当たり前のようにゴロゴロとある。本当に出口のない人生だなと思う。辛い。その辛さは身に沁みる。辛い。)、真似だのどうのとは全く思いませんが両方見て、読んで良かったです。

「攻殻2nd GIG」の時に丁度、「マークスの山」を読んだ直後だったのでゴーダの名刺を見た時、「合田一人」を「ゴーダ・カズト」と読んだなぁ~などと思い出しました。
きっと「マークス」の合田雄一郎刑事のことが無かったら「アイダ・カズト」と読んでいましたね。

*****

読み終わって満足しましたが、ひとつ
あぁ・・・やっぱりって思ったことがありましたが、まぁ些細なことだからいいですよ。
なんていうか唯一、読んでいて頭がガクッって下に落ちましたね(笑)。
まぁ、とにかく合田さん、よいイブになるといいですねとしか言いようがありません(笑)。

気持ちがよく分かるのは、物井のじいちゃんと城山社長でしたね。
合田、半田はマズイですよ。
本当の意味で「あぶない刑事」ですよ。(いや、物井のじいちゃん含めみんなマズイけどさ)
根来の合田評が
「こんな微妙な目に見つめられたら、理屈ぬきで殴りつけたくなるか、魅入られるかどちらかだ」
でしたが、私は絶対「殴りつけたくなる」でしょうね。
魅入られることは無い!(不健康なのは嫌いなんだよね)

あと、やっぱり先生、「隠微」が気になりました・・・・
次の「晴子情歌」「新・リア王」「太陽を挽く馬」の福澤家三部作では隠微がなくなるかな~
(合田がいなきゃ「隠微」はなくなると思うけど)

しかし、これらを読むのはいつになるやら・・・・

ネタバレしたくないので、事細かく内容について書けないのがもどかしいですね。
もっとも、それをしたら物凄く長くなるし。
システムの中で個人が出来ること、個人の意志、良心などは全く意味のないことように思えますね。
そのシステムを作ってきたのは、我々の無知なんでしょうが。
全身を侵されて、ようやく気付いた時には遅いのでしょう。

読み応えがあって、面白かったです。
そして、心底辛い。

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お楽しみはこれからだ

今、「レディ・ジョーカー」を読んでいます。
めちゃくちゃ面白い。

ケチらずにもっと早く読めばよかったな~と思いました。
これを読んだ後に「攻殻機動隊S.A.C」(笑い男事件)を見たかったですね。

半分近く読んだけど、終わるのが惜しいのでゆっくり読んでいます。
学生の頃は、本を読むたびに早く先が知りたくて知りたくてページを捲るのももどかしかったけど、今は気に入った本は「ふっふっふっ♪ゆっくり愛でるほうがいいよな~♪」と思うようになりましたね。
なんだかスケベなおっさんみたいです。
こんなとき
「あぁ~、歳を取ったな~」
と思いますね(笑)。

高村薫の作品は読み応えがあって大好きですが(「読んだら絶対ハマる」と思って、長年手を出せなかった・・・今はもう読書をセーブすることを止めた)、二つほど不満があります。

出てくる女性がなんでこうも「魅力的でない女」が多いのか?(女性キャラクターの登場が少ないのは、まぁいい)
そして、女性の扱いが酷い
と言うのがありますね。
「リヴィエラを撃て」は結構女性が出てくるし、サラ・ウォーカーや手島の奥さんなどは良かったんですけどね(レディ・アンは強くて怖いな♪)。
「晴子情歌」からこの傾向が変わっているといいけど。

あと一つは・・・・私の気のせいだと思う(思いたい)ので、まぁいいです。

そうそう、あと「陰微」と言う表現はもうお腹いっぱいです、センセイ。

以下、以前に読んだ「リヴィエラを撃て」のちょっとした感想。

******

読み終えてまず思ったのは
「これは所謂ミステリー小説じゃないな」
でした。
普通、ミステリー小説だと読み終えた後に全ての事件や出来事の因果関係がハッキリと分かるものですが、この小説は最後まで分からないままの部分がいくつかあります。
物語の全体像は把握できますが、所々抜けた箇所は最後まで明らかにされません。

しかも、登場人物が多く(しかも途中でたくさん死ぬし)それぞれの利害や思惑が複雑に絡み合うのでなかなかややこしい。
けれど・・・いや、だからこそ面白い。

壮絶なスパイ戦を読み終えると、そこに描かれた哀しみ、無念、怒りが冷たい雨のようでした。

大きなシステムの中では個人の想いはこんなにも儚く無力だ。それでも、諦め歩みを止めるわけにはいかない、ささやかな希望を見つけなくては・・・・と。

なかなか面白かったですね。

手島やキムも真っ当な人間で良かったです。こう言ってはなんだけど、合田とかチョットどうかと思うところがありますからね。壊れ刑事・・・いけませんよ(レディの妄想刑事もね)。

レディ・ジョーカーもゆるゆる楽しみます。

その前に、くだもの怪人をなんとかしなくちゃ・・・・。

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「風と共に去りぬ」~バトラー船長、お疲れさま~

本屋をブラブラして久々に「風と共に去りぬ」を手にしてみました。
高一の時に読んで以来でしょうか。
勿論、買いませんでしたが。

生意気盛りの高校生だった時に
「ハーレク○ン・ロマンスみたいな話だろうな~(と言ってもハー○クインを読んだことはなかったけど・・・今も無いけど)」
と、なんとなく図書館で借りて読んでみて予想外に面白いなと思ったのでした。
実に良く出来た極上のエンターテイメント小説ですね。

言うまでも無く誰もが知っている作品なので、今更ネタバレは無いだろうと思うので気兼ねなく書きます。

****

私はどうにもスカーレットが好きになれませんでした。
と言うのも、スカーレットが“我が儘な子供”だったからです(レット・バトラーと別れて以降は知りませんよ~)。

「欲しいものを欲しいと言って何が悪いの?自由に好きなようにしてどうしていけないの?」

そう言って憚らない彼女は自分が美しいということを知っているし、だからこそ自分のすることは間違っていないと思っています。
けれど南部の上流社会は「自由であること」を受け入れない、だから彼女は自分が属する社会においては異端であるのに、自分が異端であることが分かっていません。
あぁ~、まるっきり子供じゃないか~と思ってしまうのはそこです。
が、このスカーレットは不思議と魅力的でもあります。

さて、そのスカーレットのお相手のレット・バトラー。
彼もまた非常に魅力的な人物ですが、基本はスカーレットと同じ。
ただ彼がスカーレットと根本的に違うのは自分が異端であると自覚していてそれを全く隠さないことでしょう。

「俺は南部の上流社会じゃ異端な人間だって分かってる。けれどあんたらの言う“上流社会”って何だ?所詮、欧州の貴族の真似事じゃないか?やってることは成金と変らないさ。(←ん?ここまで言ったかは定かではありません)しかも、世の中の流れってのも分かっていない単なる田舎者だよ。ちゃんちゃら可笑しいぜ!」

と言うようなことを平然と口にしてしまうバトラー船長。
その彼を
「下品!サイテー!大嫌い!」
と嫌うスカーレット。

スカーレットは自由にしたいようにする自分を嫌う“上流社会の人間”を小馬鹿にしていますが(「なによ美人じゃないくせに!フン!」とか・・・本当に仕方ないな~)、“上流社会”そのものは嫌っていません。
というよりも、自分がいるべき場所なんでしょうね。そこは。
だから、“上流社会”を小馬鹿にしているレット・バトラーが気に入らない。
しかも、いっぱしの成熟した優雅な貴婦人のつもりの彼女は自分を茶化すレット・バトラーがますます気に入らない・・・いや、茶化されても仕方ないと思うんですけどね・・・・私は。

まぁ、たいへんなのはバトラー船長ですね~。
自分と良く似たしかもそれに気付かない女性に惚れてしまったんですから・・・・
読みながら、気長に辛抱強くスカーレットの“保護者”になって彼女が本来の自分に気付くことを待っているバトラー船長が気の毒になりました。

さて、スカーレットが一途に想いを寄せるているのは、アシュレ。
ただこのアシュレはスカーレットのお父さんが
「アシュレの一族は変わり者だ」
と言うように、南部の上流社会ではやはり少々異端な存在です。
彼は美しく奔放で強いスカーレットに心惹かれますが、自分というものを知っていますから自分に合った相手メラニーと結婚します。
スカーレットがアシュレに恋焦がれる様子はまるっきり似合わない服を欲しがる子供のようです。

そのアシュレの妻メラニー。
アシュレの奥さんですから、スカーレットに憎まれています(笑)。
この物語の中で最も精神的にタフなのはメラニーでしょう。
彼女は自分の夫のことも自分がすべきことも理解しています。
メラニーは自分がアシュレの妻というよりは“保護者”の役割をしなくてはいけないと分かっていますし、実際見事にその役割をこなしてきました。(南部の上流社会の中で少々変っているアシュレをその社会に繋ぎとめる役割もしていたのは賢いメラニーでしょう)
それは彼女にとって“義務”のようなものだったのかもしれません。
彼女にとって不幸なことは体が弱かったことでしょうね。
もし、メラニーが健康であったなら一体どんな生き方を選んだのでしょうか?

そんなメラニーにバトラー船長は敬意を持って接していました。
“保護者”のたいへんさを一番理解しているのはバトラー船長だからでしょう。

とは言うものの一方的な犠牲によって成り立っていた関係というのは長続きしないものです。
メラニーの場合は“恋”というより“自分が果たすべき義務”としてアシュレの“保護者”をしてきたのでしょうし、途中で彼女は死んでしまいますから長続きもなにもありませんが、レット・バトラーの場合は「ちゃんと自分を愛して欲しい」と思っているのですから一方的な犠牲に限界が来てしまいます。
レット・バトラーがスカーレットに別れを告げるのは至極当然のことです。

レット・バトラーが去って、初めてスカーレットは自分が愛していたのは(自分に相応しい相手は)レット・バトラーだと気付き、悔恨の涙を流す(確か流したと思う)わけですが、

「明日には明日の風が吹くわ!」

と世にも名高い台詞を「レットの愛を取り戻してみせる」と誓ってから(確か誓ったと思う)言ったのにはビックリしました。

やっぱり、挫折を知らない傲慢な子供なんだ・・・この人は・・・

ここに至るまでバトラー船長がどんなに辛抱強く待ったことか・・・・
そして「もう本当に無理、もう出来ない」ところまで来てしまったから別れを告げたのに・・・・
まだ、バトラー船長の気持ちを取り戻せると思っているのですから。
・・・・そう呆れている私が間違っているんでしょうかね・・・・

この大河ロマンで一番たいへんだったのはバトラー船長だと思います。
主人公はスカーレットですが、私にとってこの物語は
「保護者となってひたすら辛抱強くスカーレットを想うバトラー船長の純情一代記」
でした。

間違ってるかな?

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満腹♪満腹♪

画室当番でした。
AM11:00~PM6:30まで。
思ったよりお客さんが来てくださいました。

とは云うものの基本的に一人の時間が充分あるので“贅沢な読書タイム♪”を満喫しました。

読んだ本は高村薫の「照柿」の上下巻。
一応、もう一冊買っておいたのですが、高村薫の密度の高い小説なら画室当番してる間に丁度読み終えるなと思ったら案の定きっちり読み終えました。

小説によっては文庫だと一時間から一時間半くらいで読み終えてしまうので二冊くらいだと時間が余ってしまいます。(去年は一冊しか用意していなかったので、しかたないから何度か読み直した)

高村薫の上下巻にして良かったです。丁度良い塩梅でした。

さて、「照柿」ですが非常に面白かったです。

高村薫の小説は非常に硬く、無駄が無く、密度が高いのでかなり好ましいタイプです。
(が、ハードカバーが多いので購入するのに二の足を踏みあまり読めない)

冒頭「おっ、アンナ・カレーニナ?」と思いましたが、後で解説を読むとドストエフスキーだそうで・・・
お恥ずかしい話、私はトルストイは高校時代までに殆ど読んでいるのですが、同じロシア文学なのにドストエフスキーはスコンと抜け落ちています。本当にお恥ずかしい。(高校までのお気に入りは、トルストイとヘッセでした。母にいつも「暗い奴」って言われましたね~。ヘッセは「知と愛」を何度も読みましたね~、あと「デミアン」・・・確かに暗いな・・・)

それはともかく、緻密で念の入った現実描写(“細密画のような”とでも形容したらいいのか)と共に描かれる、不条理で粘りつくような人間の情念に否応も無く惹き込まれてゆきました。

硬質で無駄の無い表現が作り出すこの緊迫感の凄まじさ。

悲劇に向かって雪崩込んでいく心理は確かに不条理だけれど、でも確かにそこに向かうしかないなとわかります。

最後に燃え上がる灼熱の臙脂色、“照柿”その熱さ、激しさ、恐ろしさ、そして哀しさに胸が震えました。

合田の「もう何も心配せんでええんよ」という言葉が辛い。
やわらかな大阪弁なのに、優しい言葉なのに辛い。
いや、だからこそこんなに辛いのだろう。
そして、野田が合田に対して最後に呟いた言葉も。

久々に、非常に満足する小説を読んだ気がします。

う~ん、本当に満腹♪満腹♪

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攻撃~悪の自然史~

最近めっきり「小説」を読むことが減りました。

以前はかなり読んでいたんですけどね。

正直、本屋さんで平積みしているものに手が出ない・・・・

本屋さんでも手を出して読むのは芥川や坂口安吾とかが多いですね。

オバハンなんでしょう。

あまり本も購入しないようになりましたが、家にある本は何度も繰り返し読み返しています。

コンラート・ローレンツの「攻撃~悪の自然史~」もそのひとつ。

ローレンツと言えば「ソロモンの指輪」や「人イヌにあう」なども有名ですよね。

この「攻撃~悪の自然史~」も非常に面白い。

この本は「種を同じくするものどうしの戦いや殺し合いの問題」を主題として論じています。

そして、

「本能」というものは単純なものではなく、多くの衝動の間の複雑なからみあいの結果のあらわれである

などと語られています。

いつも思っていることですし、この著書を読んでも思うことですが

生き物というものは常に進化し生き延びていこうするものですね。

これはなかなお勧めです。

興味ある人は是非。

あぁ、あと「ナショナルジオグラフィック」も面白いですよね。(ナショジオのテレビプログラムもね♪)

大好きだ!

昔、「アニマ」って雑誌があってとても好きだったんですがこれはとうの昔に廃刊になっちゃったんですよね。

悲しかったな~。

ひと以外の生き物を知ることは、ひとを知ることだと思うんですよ。

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草ひばりのうた

「草ひばり」

その本を読みながら、小さな虫につけられたこの名前はなんて愛らしいんだろうと思った。

私が手にしている本はラフカディオ・ハーンの「日本の面影」。

この本を買って読んだのは19年も前だけれど今も時々、引っ張り出しては大切に読む本の中の一冊だ。

ここに収められている作品はどれも大好きだが、「人形の墓」「乙吉の達磨」「露のひとしずく」「草ひばり」「蓬莱」は私にとって特別なものだ。

ハーンの有形無形のものに対する愛しむような眼差しを文章の中で感じるとき、穏やかで暖かなそして少しばかり哀しい気持ちで心がいっぱいになる。

あの独特のヘルン言葉も(節子夫人との間で使われた言葉)素朴で暖かい。

「此の本皆あなたの良きママさんのおかげでうまれましたの本です。なんぼう良きママさん。世界でいちばん良きママさんです。」

幼少の頃に家庭というものに恵まれなかったハーンが流れ着いた異国の地で得た家族はどれほど大切だったか容易に想像できる。

「小サイ可愛イママサマ・・・・」

で始まる節子夫人宛ての手紙も微笑ましい。

十四年間の日本での生活の中で最後の最後まで彼は書くことに力を尽くした。

最後の最後までうたい続けた草ひばりのように。

そのうたは長い時を経てなお、人の心を揺り動かし続けていると思う。

飼っていた松虫が少し声を枯らした時にハーンは節子夫人にこう言ったという。

「あの小さい虫、よき音して、鳴いてくれました。私なんぼ喜びました。しかし、だんだん寒くなつて来ました。知ってゐますか、知ってゐませんか、すぐに死なねばならぬということを。気の毒ですね、可哀想な虫」

二人は約束した。

「この頃の暖かい日に、草むらの中そつと放してやりましょう」と。

この数日後にハーンは亡くなったという。

*****

参考にした本は「日本の面影」、「小泉八雲~西洋脱出の夢~」です。

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昨日に引き続き

昨日に引き続き、熱が高くてウンザリです。

日々、気をつけていますがこればっかりは・・・どうも。努力の仕様が無いなぁ。

仕方が無いから寝てますが、ゴロゴロしながら本を読んでます。

十何年かぶりに、「ダルタニャン物語」(全11巻)を引っ張り出して読みました。(引越しで本の整理をしていたので)

やっぱり、文句無く面白い。

壮大な構想で、千変万化のプロットを展開した物語、歴史上の人物が綺羅星のごとく登場する豪華さ。

ことに会話の面白いことといったら・・・。

有名なのは第一部「三銃士」と第三部「ブラジュロンヌ子爵」の中の「鉄仮面」のところだけど、第二部の「二十年後」も物凄く面白いですね。(私は第二部が一番好き)

時々、ハリウッドで映画化されるけど原作の素晴らしい面白さを知ってると、チト不満

映画化するなら本家本元フランスの威信をかけて映像化していただきたい。ドパルデュー主演の「シラノ・ド・ベルジュラック」は素晴らしかったのだから。(ロクサーヌ役のアンヌ・ブロシェも可愛かったぞーっ!!)

ま、長いからキツイか・・・・

ともあれ、熱があってもなくても大デュマの壮大な物語は面白かったのでした。今度、久々に「モンテ・クリスト伯」も買って読もうかな~?

(イカン、調子に乗っていたら冷や汗が出てきた・・・。今週は「攻殻」が2本立てでキツイってのに・・・もぉ大人しく寝てよう・・・。)

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